2022年の生活と人間とは・・
2022年、このブログもすっかり放置気味ではあった。
それは、日々が充実していたからでもあるかも。
もちろん、不満やストレスがなかったわけじゃないけど、生きていれば誰しも感じる大したことじゃないこと とでもいうか、人生に詰まるとか、未来が無い といった類の悩みはなかった。
そんな中でも、世界や世間は動いている。
そんな激動の世の中を 俯瞰してみる立場(?)として感じることは、
「人間には欲があり、欲がある限りは世界は平和には成りえない」
ってこと。
ロシア・ウクライナ戦争が起こった現実、経済合理性とか、21世紀の価値観をぶっ壊したこの戦争。
大国が直接戦争に加味することの意味。
(世界大戦とかの)戦前の世界って、こんな空気感だったのかもな、どうにも埒があかずに戦局が拡大して世界大戦への流れ・・
まあ、人間は愚かだよ。
戦争において勝者と敗者がいる限り今後の戦争もなくならいし、それによって殺されたり死んでしまう人々も気の毒に思う。
ただ、人間には欲があり、貧困問題は無くならない。欲はその人のステージにより形を変えて色々な形で表れてくる。
(生きるために・・、より美食に、より豪華に、より広大に、より深く・・)
食うに・生きるに困った人々は、明日のパンの為に生きていて、SDGSとか多様性、地球の温暖化なんて知ったこっちゃないし、それを言えるのは明日の生活が保障された人だけ。
先進国が如何に言おうと、途上国がそれを守るなんてことは無い。
だって死んでしまうから。
そんな世界で生きているってことを実感できたってことが、この人生において発見だ、それを知らずに世を羨んだり、妬んだりして死んでいく人のほうがはるかに多いと思う。
現代日本で生まれるってことは、それを知れる可能性が大きいってことだと思う。
しかし、日本においても、ことの大小はあれど 食うに・生きるに困る人はいるので、
そんな人を止める術は無いし、それが現実なんだよね。
自分の生き方としては「足るを知る」って言葉が一番しっくりする。
世界中がそれを知って、その範囲でよりよくなることを目指すってのが、(自分が想像する)世界平和への道だとは思うけど、まあ無理だろうなぁ