1年前の自身のブログを読んで達観しつつあるなと感じていたが、さらにそれが進んで
「人類、人間とは」みたいなことを考えるようになった。
といってもそんな大それた感じではないのだが、おぼろげながら 感じたことを書いてみる。
- 人間には寿命がある
- 人間には欲望がある
- 人間には自我がある
この3点を認識というか、前提にもつと見え方が変わるというか、その結果。
- 世界平和は、今の形式では訪れない
- それぞれの住む世界で、それぞれの欲に対して、なんらかの行動を起こしている
- 自己の世界が共有する世界よりも優先度が高い
結論になると思う。
今の科学、生物学では人間には寿命があり、誰しも命は一つだけであり、いずれ命は尽きてしまう。 それはどんなに高尚な人間でも、何もしていない凡人でも同じであり
命が尽きることには、その根源的な理由もあり、抗い続ける。
長生きしたい、健康でありたいは、ある意味「欲」であり、生きるものとして正当な価値感だと思う。
その「欲」に対して、行動すること、
長生きしたい、健康でありたい、知識を得たい、お金持ちになりたい、異性にもてたい、人から憧れを得たい、平穏に暮らしたい、家族を幸せにしたい・・
欲は尽きないし、尽きることは存在意義がないと同意になると思う。
欲もなく、日々最低限の消費をして、クソして寝るだけの日々を生きることに今の価値観では無意味に感じたり、ストレスを感じる方が多いと思う。
時間があれば、お金があれば、健康であれば、相手がいれば、
ロシアとウクライナの戦争はもう2年を超えて争っている。
これはプーチン、ロシア国民の価値観、欲があり、欲は相手の不幸があっても求められしまう。
なぜなら、その欲の下には恐怖や刷り込み、絶望を示しているから、
NATOが攻めてくる、ロシアの国が滅亡する、あなたの暮らしが困窮する
って言われて、「それもいいじゃん」とは、一般的には思わないってのも理解はできる。
そんなことをする連中は滅ぼしてしまえ!
日本的一部の価値観だと、「国破れて山河あり」じゃないけど、そんなのもあると思うし、平和を望む人がいることは理解しているが、それは自分が安全なところでいえるからであり、今まさに死んでしまうって人もいるわけで、そんな人にそんなこと言えない
これは、イスラエルとパレスチナのガザ危機が始まってますます感じることになった。
第二次世界大戦からの負の遺産がいまだに残っていて、それがこの前提において
解決できるとはとても思えない、そんな火種がまだ世界にはあり、
明日死ぬかもって思ってしまう人が暴走してしまうって現実がある。
日本においては、北朝鮮や中国がそれにあたるかもしれない
核武装した北朝鮮が、いよいよ国の体制維持ができなくなり、自滅寸前に核ミサイルを発射するかもしれない(迷惑な話だ)
そんな説を信じた、日本や韓国が先制攻撃として、結局同じ結論になるかもしれない。
可能性の話をしたらなんでもありだし、
皆の日々の生活、家族の人生が困窮する、だったらいっそ・・
そんなことを俯瞰して考えたら、
今の日本に生まれたことに感謝して、日々の消費を楽しんで、自分の残りの人生を好きに生きるってことが一番ベターな生き方だよな と結論した。
可能な範囲で人助けはするが、すべて自分の生活に影響がない範囲で、
当たり前のように思うかもしれないが、世界平和や繁栄を望むなら、その価値観すら壊さないと達成できないくらいな生活水準や文化にもうなっているんだよね。
「皆再び、産業革命前の生活に戻ろう」ってことにはならないと思う。
人間ってそんなものだよ