失敗を恐れる人たち
遠くに出かけたときに、スマホで検索して評判の良い店を探して食事。
よく見かける光景だし、スマホが無い時代でもガイドブックとか、ドライブ情報誌とかで参考にしたりしていたものだ。
それは善意の情報を元に、ここに行けば現地の美味しいもの・楽しいことが出来ますよ、ってな感じだった。ユーザーもそういうものが前提であると思っていた。
広告が発達して、広告主がお金を出せば現地のものじゃなくても、もっと良い店があっても情報は公開されず、ユーザーはネットで見つけたお店に集中する。
YahooとかGoogleが世に出たときに検索エンジンの優位性みたいなことは考えもしなかったけど、こういうことなのかと思う次第。
そんな中 旅の同行者が、Googleで評判よかったので・・って理由だけで行列に並び、Googleの評判通りの感想を述べ、そこでその地に行ったことを自慢する
人生の実績を解除したと、SNSで報告を行う。
それは、ネットに、他人の意見に、流されているように感じた。
なぜそうなるのかと考えたら、損をしたくないんだろうな と思った。
時間的・経済的に、損したと思いたくない・・だから情報に流されて、情報がないものを選択肢からはずして、情報に流される。
旅行で損したっていいじゃない、旅の思い出だよ。
新しい発見、ネットにはない未知なるもの、そんなのは誰が発見するんだよ。
自分で見つけた喜びって、無難じゃ見つからないよ。
まあ、誰しも損したと感じたくはないんだろうから、性分なんだろうけどね。
損・得じゃなくて、未知なることに挑戦したと思うべきだよね。
最近の人たちの傾向として、損を損として考えてしまう。損することが大嫌い。
そんなことを突き詰めると、人生において損をしているような気がする。
ステレオタイプな人生・・アラフィフなおっさんは、それはかっこ悪いという価値観で育った人が多いと思う。
レールの引かれた人生、終身雇用・・そんなろRockじゃねぇ
終身雇用、現在ではもはや通用しないし、大多数の人がそうじゃない生き方をしている。
でも現実は、ネットに踊らされれいるような・・。
失敗してもいいじゃないか、これを教訓に新しいことが出来るんだし、もっとチャレンジをしないとなぁ、自戒をこめて。