おっさんを極めるということ・・
自分が年齢を重ねるにつれて思うこと、感じたこと
世間一般的に言えば、「おっさん」ということなんかなと思う。
中には年齢にふさわしくなく若々しく、
エネルギッシュで、経済的にも成功して、ポジティブで、魅力的な人も
極々少数はいるだろう、そんな人は別格、稀有な存在。
そんな人は若い女性にも魅力的に感じるんだろう。
普段の仕事に追われて、日々なんとなく生きていて、
体の衰えを感じ、最近の若いものは・・なんていったりするのが自分の周囲にはたくさんいる。そんな人がおっさんだし、自分もそんな日々を過ごしている。
別にそれに絶望とか悲観しているわけでもなく、そんなもんだと深く考えたりはしない。
そんなおっさんにとって若い女性は、恋愛の対象ではない。
快楽の対象とでもいうか、魅力は感じているが、自分が彼女等にとって恋愛の対象ではありえないことを理解している。
自分が、彼女等を魅力的に感じているのは事実であり、
もしかしたらという、一縷の望みを抱いていたりもする・・
そんな中、仮に割り切った関係で、若い人よりはある経済力でその魅力を分けていただいているのだ。
性行為には二面性があると思う、
単純に肉体的快楽を求めるものと、
お互いに精神的に欲して求めあうものと、
その両面があるときっと一番いいものだと思うのだが、
おっさんが若い女性に後者を求めるのは難しいし、おっさんたる自分はそれを理解してしまっている。
相手が無欲の愛で自分を必要としてくれている、肉体的にも精神的にも受け入れてくれること・・それはもうないだろうと思う。
せめて、金銭的なことで快楽の面を補ってくれることで自分は助けられている反面
、無償に悲しくなることがある。
誰かを必要とし、自分も必要とされるこんなことはもう自分の人生にはないんだろうか・・
どこかの風俗嬢が言っていた
「直前にお金を払ってたにもかかわらず、真剣に自分に恋愛感情を抱くのがわからない」とか
「相手をお金としか思っていない」
なんて言葉を聴くとやはりそうなんだよな。 と思う。
自分に奇跡は起こらないと思うと、若い女性は快楽の対象でしかない・・
そんな自分に、誰かに必要とされることはもうないんだなと思うと、
なんともいえない気持ちになる。
誰かを愛し、愛されるというのはどんな気持ちなんだろうな・・おっさんにはもうわからることはないだろう。
せめてお金を払ってその金銭分の快楽を享受しよう・・
性的な欲求がいつまで続くのかまだわからないが、それがあるうちは。