phandy37のブログ

40過ぎてフリーランスになった。独身アラフォーなおっさんが、日々思ったことを書いていく。 婚活、仕事、人生観を書いたり、共感してもらえることがあると嬉しいです

トラウマ的リビドー

好評な性癖について考えるの文章、

なんか評論家きどりでAV鑑賞にもせいが出るもので・・性癖がでるかw

 

ただ最近のマンネリ感とか、安易なつくりはあまりいい傾向じゃないよな・・

溜池ゴローとか、長江スタイルなんてのが頑張っているが・・

女優のレベルは高止まりだけど、内容の進化がなぁ。

なんて考えていた矢先にいい作品に出会う。

 

 

まあ、時間停止系の流れかなと思っていたのだが、

観てすぐに気づいたこれは、「ルナ先生」だ!

自分が子供の頃、歯医者の待ち時間に棚にあった月間マガジンで読んでいた。

OH!透明人間と双璧をなす「いけないルナ先生」「あぶないルナ先生」

の展開!

ルナ先生自体が、ドラえもんのオマージュ的な要素もあるのだが、まあエロにベクトルが向いているよね。

でも子供向けの雑誌だし最後までは行かず、ワタルくん(主人公)最後「あぶねー」と半泣きして終わる展開であった。

当時、エロ話をする友人達と

「あんな先生いたら、毎晩腰が抜けるまでやるのになぁ・・」

「主人公がうらやましい」

なんて童貞トークをしていたものだ。

 

話の流れ的には、

出来の悪いワタル(主人公)、同棲するルナ先生。

ルナ先生の妄想が膨らみ、足し算が出来ない>周囲から孤立する>いじめられる>自殺

あ~ワタルくんが死んじゃう~ ここは勉強を教えないと!

でもワタルくんが興味あるのは、女の子のことばかり・・そうだ!

エッチなことをしながら算数を教えよう!

みたいなパターンになっているのだが、まあ色々とシチュエーションを変えながら

衣装とか、設定とか、道具とか、現代AVにも通じるものがあるな。

さすがルナ先生。

まあ、当時の小学生ももう、いいおっさんだw

当時の小学生に与えたインパクトも大きいわけで、人気連載になっていたと思う。

 

そんなルナ先生の黄金パターンを、本作ではやっている。

興味がある方には、観ていただきたいのだが、男優さんが

「ママ~」って台詞と、その後の展開には ルナ先生を思い出した。

んなアホなって設定でも、女性側の思考を入れることによって成立するいいシーンだ。

これがあるとその後の展開が非常によくなってエロさ倍増。

この手のルナ先生フォーマットはけっこういいんじゃないか。

母性であり、エロであり、動機であり・・エロの世界は単純じゃないよなぁ。

好評ならば、気に入った作品をまた書きます(笑)

ヤンキーが日本を救う?

そんなテーマのブログとか記事が結構ある。

少子高齢化の打開策とか、そんなテーマが多い

ヤンキーカップルは若くして結婚し、子沢山・・

自分はオタクとして生きてきて、ヤンキー文化とは疎遠であったし、漫画の中でくらいの出来事であった。

好き勝手やって、先生や皆に迷惑かけて、集団行動は守らなくて、女子から人気があって・・、将来ろくな大人にならないだろ・・

とか、蔑視じゃないけどあまりいい印象はなかった。

 

大人になってみてわかったことは、若いうちのヤンキーはいいもんだなと思う。

馬鹿やって、仲間が出来。

大人ぶって、飲酒したりタバコすったり(健康にはよくないかもだけど)バイク乗ったり、彼等のお小遣いバイトの稼ぎで買う分にはいいだろう。

いじめとか、カツアゲ、万引きなんてのは犯罪行為で論外だけど、校則破るくらいなら可愛いもんだ。

先生側も卒業したあと、そんな生徒に思い出になったり、情をもっていたりするわけだし。(没個性のどうでもいい生徒は記憶に残らないもんだねw)

 

そんな中 同窓会があり参加してみた。

人生折り返しで、日々同じ生活の繰り返しみたいな自分においては、映画の「イエスマン」じゃないけど、積極的にイエスといってなんでもやってみようと思う。

自分は当時からオタクだったし、部活もしていなかった。学校終わったらアルバイトして地元連中でダラダラしていたことがほとんどであった。

まあ、高校・学園生活という意味ではほぼなんもない、彼女とか恋愛も出来なかったしw。

思いのほか自分のことを覚えてくれていたので驚いたけど・・まあ社交辞令かw

 

ある女性が、もう孫がいて、おばあちゃんになったそうで まだ40代だよ!?

当時ヤンチャしていた彼女だけど、

なんでも20代前半で結婚して子供数名を出産

高校生となった息子が同級生を妊娠させて結婚。(若くしてマスオさん状態で、相手の家に転がり込む)

孫が生まれ おばあちゃんとなる。

その後 子供達は成人して、旦那とは離婚。

やりたいと思っていた仕事に就くため福祉の学校に行き、新しい就職を始め現在に至る。

 

凄い人生だ・・自分はその間、毎日 仕事しかしていなかった・・・

現在も子供を育て上げ、自分のやりたいことにチャレンジしている。

なんてエネルギッシュなんだ。

ヤンキー凄い。

 

まあ中には、こじらせて反社会的な人になってしまったという人の噂も聞いた。

そんな人もごく少数いるだろう、彼女の例も特殊かもしれない。

でも、実際自分の近くにそんな人がいたんだなと思うと、ちょっと勇気をもらったよ。

若いうちのヤンチャなんて、大人になってみれば可愛いもんだ。

それが青春ってもんなんだよなぁ とおっさんになって思う。

 

性癖について考える 女教師編

一年くらい前に書いた「性癖について考える」駄文だけど、多くの方に読まれているようで驚いている。

こんな駄文でも需要があるもんだ。

彼此AVは中学生から観ていて、

(VHSをレンタルビデオで隠れてみていたものだ。)

平均すれば年間150本は見ているだろうし、それを30年以上繰り返しているので

それなりの知見があるのもかしれない。

 

そんなわけで女教師ものについて考えてみる。

 

(女)教師のイメージとしては、

  • 聖職者。
  • しっかりした人、乱れることがない。
  • 知能が高い、羨望。
  • 面倒見が良い。落伍者の救済。

と言ったとこだろうか、

実際自分が学生当時を考えると・・

  • おばちゃん(実際は若い人もいるのだが、未成年の学生にとっては年寄りに見えてしまう)
  • 化粧はしない、すっぴんor薄化粧
  • 性的なイメージを出さない、服装、仕草。

が、実際の存在だろうか?

そう先生は、先生でしかなく学生当時はあまり性的な対象ではない。

それが自分が大人になってから、女教師はエロいと考えたり、性的な対象として高い存在となっているのだ。 それは跡付けされたイメージも多分にあると思う。

学生当時それに気づいていたら・・と考えるとなんだかもったいなかったなと思う次第である。

 

AVにするには、

若い女性であったり、性的にアピールが必要ではある。 これはまあ妥協の範囲というか必要な要件である。

これを無理なくこなすには、

若い新人先生が、若い男子生徒の中にはいり、

なんらかの理由で性的なことになるってのがよくあるパターンである。

 

なので、新人女教師とか、教育実習とか、家庭教師といった設定が多いと思う。

なんらかの理由としては、

  • いじめられた生徒をかばう
  • 学内の権力者にたてつく
  • もってあまる美貌で生徒の注目をあびてしまう

等の理由で目をつけられ、

その後、弱みを握られ(レ○プされたり、はずかしい写真を取られたり、借金があったり、権力をみせつけられたり)、漬け込まれエロい展開となるのが王道。

というか、このフォーマットでない女教師ものは、ほぼ存在しないと思う。

 

AVとしては、マンネリな内容であって、女優の差が大きく影響するとシリーズだと思う。

 

如何にエロくなるには、

  • 聖職者たる自分がエロいことをしてしまっている。せざるを得ない背徳性、その必然性。
  • 本来、学びの場である学校とかでのエロい行為、通常あり得ないシチュエーション、非現実性。 
  • 出したくない女である面が現れてしまう背徳感。

この点が肝のように思う。

そんな点を鑑み、AVとしては、最後に全生徒参加の乱交になったり、大団円的な展開が多いがこれは結構台無しだと思う。

盛り上がりが必要なんだが女教師ものの必然としては、無いほうがいい。

途中までは、ローターを仕込んでの授業とか、背徳・秘密の共有を楽しんでいるのだが

なんか最後で台無しなんだよな。

また、水泳部・新体操部の顧問とか先生が水着になるとかハイレグを着るとかも上記理由として、エロさを分断させるので、不要。

エロを高めるために蛇足的に追加された要素は無いほうが、女教師たる部分が高まるとはずだ。

 

あくまで最後まで一部の秘密を共有して、そのまま終わるほうがエロいと思うんだが・・まあ製品としては難しいか。

生徒側(男優)としては、女教師に悪戯できる喜び、非現実性をもっと表したほうがいいと思う。 なんかそれが普通になっているんだよなぁ。男優側の奮起も必要か。

学校内でのエロも無理に組む必要はなくて、ラブホに呼びつけるとかしてもエロいと思うだが、学校でのハレの場からのギャップを楽しむとか。

そのときに普段しない化粧をしてからラブホに行く姿を出すとか、エロいと思う。

その時に

「○○先生、ヒールはいて授業とか、駄目でしょう」と他の男性教員

「ええ、すいません・・」

なんてやりとりとかあるとまたエロさが引き出されるかも

 

フォーマットとしては確立しているこのジャンル。 個人の技量に頼る部分が大きいけど、エロを考えるにあたり その背徳性、聖職者、非現実性・現実のギャップをもっと突き詰めると新しい境地が開けるんじゃなかろうか。

 

とかまた恥ずかげもなく書いてみた、女教師よ永遠なれ。

 

干してあるブラジャーを見て思う

近所のアパートの物干し台に ブラジャーが干してあった。

よく通る道で、何度も目撃している。

小さな洋服もある、小さな女の子のもののようだ。

 

アパートの間取りを想像すると1Rとかだろし、

若いシングルマザーが、子供と2人暮らしなんだろうな。

仕事と子育てに一生懸命で、女であることを捨てて

母であることの現れのように思えてしまう。

 

自分は、40過ぎのおっさんで、大きなマンションに一人で暮らしている。

貯蓄も困らないくらいにはある。

このシングルマザーと一緒に暮らせれば、お互い幸せになれないかなぁ

なんて妄想をしてしまう・・

女性にとっては、かなり気持ち悪い妄想なんだろうな・・

 

そんな折、いままで白の下着だったのが、

黒いブラジャーが干してあった・・なんか心がざわざわした。

これは その女性にとって勝負下着とかなんかもな。

こんな妄想をするおっさんなんて相手にもされないだろうから、いい人を見つけて幸せになってほしい。

 

自分は年をとって、誰からも相手にされない日々が来ることを恐れて日々生きている。

悪足掻きはしている。足掻くことを止めたら、生きている意味をなくしてしまいそうだから。

小さなストレスの積み重ね

倦怠感・・

なんか大きな理由もなく、小さなストレスが積み重なり

・投資した株の下落

・職場の連携、対人関係が上手くいっていない

・痩せたいけど、いっこうに体重が減らない

・咳が止まらなくなる

・贔屓にしていた美容師が退職していた

・周囲から評価されない

SNSのレスに返事がつかない

・路上のタバコ、ポイ捨てに遭遇

・周囲の騒音、集中力散漫

どーでもいいことばかり、自力で解決しなけりゃってことばかりなんだけど、

精神的余裕がなく、ストレスになっていく・・

イライラした時間、どうすれば解消されるんだろう?

 

こんな時に魔が差して、大問題になったりする人がいるんだろうな。

人を殴ってしまった、女性の体をさわったとか、

それで職を失ったり、多額の賠償をしたり、離婚したり、人生が台無しになったりする人たちをニュースでみかける。

 

日々のちょっとしたストレスが・・自分が考えもしなかった形で爆発してしまう。

本来は、そんなこと考える人間じゃないのに・・そんな人もきっといるだろう。

(中には、悪意をもってやっている人も当然いるんだろうな)

 

自分の精神状態があまりよくない、こんな時に人とぶつかったり、

イライラが表面に出て、人の反感を買い揉めごとになったり・・

できれば落ち着くまで、外に出ずに安定を待ちたいところだが・・仕事があるので外にでなければならない。

その仕事で、また小さなストレスが貯まっていく日々。

これは危険な兆候だ。

なんでこんなに余裕がないんだろう、心が追い詰められてしまうんだろう、

自分で危険と思っていても外にでなければならないんだろう・・

 

経済をまわすということ

「よくお金をつかって経済を回す」

ってなことを聞くが、ここ何十年デフレを経験している日本・自分にとっては、

高いものは悪、いいものを安く、不要なものにはお金を使わない。

安いものがあれば価格が優先、みたいなことが蔓延していると思う。

少なくとも自分は、そんな価値観だし、そういう意味では行動原理がお金(価格)に支配されていると思う。

 

先日、ピンサロに行った。

ここは価格破壊店で3500円~4000円くらいでサービスを受けられる店、キャストのレベルも悪くなくちょくちょくつかっている。

最安値になるのは、時間が限定だったり、メルマガに登録したり、指名なしだったり制限があるのだが、価格に支配されている自分には、

特定の誰かにという目的もなく、自分の性処理の一環として使っているので、最低限の値段で済ますことがほとんどだった。

 

ある日、何気なしに指名をして満額(7000円)を払ってサービスを受けた。

その時の嬢と相性もよかったのだが、相手が積極的に動いてくれて、楽しく、気持ちよく、普段より開放された満足する時間となった。

 

ほぼ倍の値段であるが、安価だけど、単調なサービス(嬢によりかなり変る)

当たりハズレが大きいけど安価、安定して気に入った嬢を指名するけど高価

どちらが自分にとって満足なのか考えると、後者な気がしてきた。

しかも、嬢の立場から考えたら、同額で同じサービスを受けようなんて考えが甘いか。

 

食品とか、食べ物に関してレストランでの値段は、

その素材、料理する手間、お店の立地、人件費とかで決まっていると思う。

代替品が多い素材で、あまり食事にこだわりのない自分にとっては無価値、

お金を払う理由には、なかなかならないものだった。

和牛は美味しいけど値段に見合わない、オージービーフや、アメリカンビーフで十分みたいな。

 

ただそれだと、経済がまわらない、高価格にお金を払ってでもよいサービスを安定して受けることが大事だなと、ピンサロ嬢に(間接的に)教えてもらった気がした。

自分の人生において、もう少しだけ豊かに満足するためにも、

もうちょっとだけ、お金を使うことに積極的になろうと思った。

 

失敗を恐れる人たち

遠くに出かけたときに、スマホで検索して評判の良い店を探して食事。

よく見かける光景だし、スマホが無い時代でもガイドブックとか、ドライブ情報誌とかで参考にしたりしていたものだ。

それは善意の情報を元に、ここに行けば現地の美味しいもの・楽しいことが出来ますよ、ってな感じだった。ユーザーもそういうものが前提であると思っていた。

 

広告が発達して、広告主がお金を出せば現地のものじゃなくても、もっと良い店があっても情報は公開されず、ユーザーはネットで見つけたお店に集中する。

YahooとかGoogleが世に出たときに検索エンジンの優位性みたいなことは考えもしなかったけど、こういうことなのかと思う次第。

 

そんな中 旅の同行者が、Googleで評判よかったので・・って理由だけで行列に並び、Googleの評判通りの感想を述べ、そこでその地に行ったことを自慢する

人生の実績を解除したと、SNSで報告を行う。

それは、ネットに、他人の意見に、流されているように感じた。

 

なぜそうなるのかと考えたら、損をしたくないんだろうな と思った。

時間的・経済的に、損したと思いたくない・・だから情報に流されて、情報がないものを選択肢からはずして、情報に流される。

 

旅行で損したっていいじゃない、旅の思い出だよ。

新しい発見、ネットにはない未知なるもの、そんなのは誰が発見するんだよ。

自分で見つけた喜びって、無難じゃ見つからないよ。

 

まあ、誰しも損したと感じたくはないんだろうから、性分なんだろうけどね。

損・得じゃなくて、未知なることに挑戦したと思うべきだよね。

最近の人たちの傾向として、損を損として考えてしまう。損することが大嫌い。

そんなことを突き詰めると、人生において損をしているような気がする。

 

ステレオタイプな人生・・アラフィフなおっさんは、それはかっこ悪いという価値観で育った人が多いと思う。

レールの引かれた人生、終身雇用・・そんなろRockじゃねぇ

終身雇用、現在ではもはや通用しないし、大多数の人がそうじゃない生き方をしている。

でも現実は、ネットに踊らされれいるような・・。

 

失敗してもいいじゃないか、これを教訓に新しいことが出来るんだし、もっとチャレンジをしないとなぁ、自戒をこめて。